ジル サンダーが9月7日にブティックで先行発売した6本には、シソ、ソルト、セサミ、マホガニー、リリー、バニーユという名前がついている。このうち4本は、名前になっている素材が公表された処方に入っていない。シソにシソは使われず、ソルトに塩は無く、セサミに胡麻は無い。マホガニーにいたっては、その木から採る香料が一般に流通していない。
普通なら、こんなことに気づきようがない。香水のノート欄には十数種の素材が並ぶのが常で、名前の素材が本当に入っているかどうかを外から確かめる手立てはないからだ。ところがこのシリーズだけは違う。ブランドが公表している処方は、天然香料3種、アルデヒド、アップサイクル由来のアルコール、水——それだけである。香料は3つしかない。だから、数えられてしまう。
3つ数えれば足りる
「オルファクトリー シリーズ 1」は、ルーシー・マイヤーとルーク・マイヤーのクリエイティブディレクションのもとで2026年に始まった全12本のシリーズで、今回日本に来るのはその後半6本にあたる。ボトルはミラノとロッテルダムを拠点とするスタジオ、フォルマファンタズマが設計した。ブランドはアルデヒドを全12本に共通して通す素材と位置づけ、天然香料の輪郭を持ち上げる光として説明している。そして3つの香料には必ず出自の札がついている。アップサイクル(本来なら捨てられる部位の再利用)、CO2抽出(二酸化炭素を溶媒に使う低温抽出)、あるいは産地名。オーストラリア産のサンダルウッド、フランス産のラベンダー、アメリカ産のシダーウッド、という具合だ。
| 製品 | 公表された香料 3 種 | 名前の素材 | 調香師 |
|---|---|---|---|
| シソ | キーライム / ジュニパーベリー / オーストラリア産サンダルウッド | 入っていない | ジュリー・マセ |
| ソルト | カルダモン / フランス産ラベンダー / バニラ | 入っていない | アレクシス・グルジョン |
| セサミ | カカオシェル / オークウッド / アメリカ産シダーウッド | 入っていない | メーヴ・マッカーティン |
| マホガニー | シダーウッド / インド産シプリオール / ジンジャー | 入っていない | ルイーズ・ターナー |
| リリー | ジャスミン・サンバック / ベトナム産ベンゾイン / サイプレス | 入っていない | マチルド・ビジャウイ |
| バニーユ | バニラ / シダーウッド / スペイン産ラブダナム | 入っている | コラリー・スピシェ |
いちばん分かりやすいのはセサミだろう。黒胡麻の味わいに着想したというこの一本の中心にあるのは、カカオシェルである。カカオ豆ではなく、焙煎したあとに剥がれる外皮のほうだ。チョコレート製造では取り除かれて捨てられてきた部分で、豆に比べて甘さと脂質感が乏しく、そのぶん焙煎由来の香ばしさと乾いた木質が前に出る。これをCO2抽出のオークウッドとアメリカ産シダーウッドで挟むと、樽材と杉の乾いた質感が加わって、練り胡麻のような濃度が立ち上がる。胡麻を入れずに胡麻に行き着く道順である。
塩は、そもそも揮発しない
ここで、名前と中身のずれを「誇張」と呼ぶ前に確かめておきたいことがある。ソルトの場合、塩を入れるという選択肢が最初から存在しない。塩化ナトリウムはイオン結晶で、常温ではほとんど蒸気圧を持たない。つまり鼻に届く分子を出さないので、香料にならないのである。海辺で感じる「潮の匂い」も、実際には海藻や微生物に由来する揮発性の物質を嗅いでいる。だからソルトがカルダモンとラベンダーとバニラでできているのは、代用でも手抜きでもなく、それ以外に方法がないということだ。
同じ問題を別の手つきで解いた例が、10月に日本発売を控えるイッセイ ミヤケのル セルドゥ イッセイ パルファムである。こちらは「ソルトアコード」という言い方をする。アコードとは複数の香料を組み合わせて一つの像を作った単位のことで、それ自体が「これは単一の素材ではありません」という表示になっている。ジル サンダーは3つの香料を並べて読者に組み立てさせ、イッセイ ミヤケは組み立てた結果に名前を与えた。出発点の制約は同じで、開示の作法が違う。
生クリームとアイスクリームがノートに入る
9月9日に日本発売されたペンハリガンのザ マヌーバー オブ ザ バロネス(75mL 48,950円)は、この流れをもう一歩進めている。トップに置かれたのはクレーム シャンティイ、つまりホイップした生クリームだ。これは素材名ですらなく、料理の名前である。ブランド自身がこれをコレクションにとって新しい試みだと位置づけていて、そこからオレンジブロッサムの白い花、サンダルウッドの乾いた木質へと受け渡していく。ポートレート コレクションは10周年を迎え、これが14作目にあたる。
9月1日に日本で発売されたボッテガ・ヴェネタのアルタ(10本、50mL 32,000円 / 100mL 42,000円)にも同種の名前が並ぶ。「リコルダミ」はストラッチャテッラのアイスクリームアコードとオークウッド、「ベア モーニング」はイタリアのタルクとオセアニアのサンダルウッド。もっともこちらの原則は少し違っていて、ブランドは10本すべてを「イタリアの素材と、他の地域の素材の対」として組んでいる。編み込みのイントレチャートを香りに翻訳した、という説明だ。素材の出自を前面に出す点はジル サンダーと重なるが、語っているのは製法ではなく地理である。
ノート欄は目録ではなく行き先
こうして並べてみると、今週の新作に共通しているのは特定の香調ではなく、ノート欄の性格が変わりつつあることだと分かる。かつてそこは、何が入っているかを示す目録に近かった。ローズと書いてあればローズオイルが入っているし、ベルガモットと書いてあればベルガモットが入っている、という読み方が成り立った。いま増えているのはその逆で、シソやソルトやクレーム シャンティイは、入っている物ではなく、行き着く先を書いている。手段は3つの香料のほうに書いてある。
この読み方に切り替えると、店頭での試香の仕方も少し変わる。「シソの香りがするかどうか」を判定しに行くのではなく、ライムとジュニパーとサンダルウッドがどのあたりで交差してシソらしさに変わるのか、その交点を探しに行くことになる。名前は答え合わせの正解ではなく、調香師が置いた目的地のほうだ。次にノート欄を眺めるとき、そこに並ぶ言葉が原料表なのか行き先なのかを見分けられれば、同じ一覧がずいぶん違って見えてくるはずである。
参照
ブランド公式: Jil Sander — Olfactory Series 1 / Jil Sander(日本) / Jil Sander — About
日本の発売日・国内価格・容量: ファッションプレス(ジル サンダー) / 同(ペンハリガン) / 同(ボッテガ・ヴェネタ アルタ) / 同(イッセイ ミヤケ)
調香師・ノート構成の補足: Fragrantica — Jil Sander