
今週の新作フレグランス(2026年9月第2週)— 名前の素材が、処方に入っていない
ジル サンダーが日本で先行発売した6本のうち4本は、名前になっている素材が公表処方に含まれていない。シソにシソは無く、ソルトに塩は無い。香料が3つしか公表されていないからこそ検算できるこの奇妙さから、香水の「ノート」欄が何を書いているのかを読み直す。
Journal
新作のニュース、香料と香水のピックアップ、編集部の読みもの、そして香りを基礎から学ぶ記事まで。
新作の発売情報と、香水を取り巻く産業の動き。いま起きていることを追います。
一本の香水、一つのブランド、一人の調香師。対象を決めて深く掘り下げます。
文化、芸術、心理、雑学。香りを別の分野の側から眺めた記事です。
Scent & Culture
ファッション、ボトルの意匠、儀礼、空間。社会の中で香りが担ってきた役割。
準備中
Scent in the Arts
音楽の語彙を借りたノート、文学に描かれた匂い、香りを表す言葉そのもの。
1本の記事
Japanese Scent
香道、線香、和の香料。日本が育ててきた香りの作法と素材。
1本の記事
Scent & Mind
記憶を呼ぶ匂い、印象の与え方、感じ方の個人差。心の側から見た香り。
2本の記事
People & Perfume
歴史上の人物が愛した香り、職業と香りのふるまい。人を軸にした読みもの。
準備中
Trends
今季の潮流、香調の移り変わり、ユニセックス化。いま起きている変化。
準備中
Curiosities
名前の由来、意外な原料、数字にまつわる話。知っていると一段楽しくなる小話。
1本の記事
香りの仕組みから調香の技法まで。基礎から順に積み上げられる体系立てた記事です。
Perfume Basics
濃度の違い、付ける量と位置、自分に合う一本の選び方。はじめの一歩をまとめています。
1本の記事
Fragrance Notes
トップ・ミドル・ラストの移ろいと、シトラスからウッディまでの香調ファミリーの見取り図。
準備中
Ingredients
ベルガモット、イリス、ウード。一つひとつの香料の成り立ちと、香水の中での役割。
準備中
Origins
気候、土壌、収穫の時期。同じ植物でも産地が変われば香りが変わる理由。
1本の記事
Extraction
水蒸気蒸留、溶剤抽出、超臨界。香りを取り出す技術と、それぞれが得意とする素材。
7本の記事
Perfumery
アコードの組み立て、ピラミッドの設計、素材の対話。調香師の設計思考をたどります。
1本の記事
The Science of Scent
分子のかたち、嗅覚受容体、脳での処理。なぜそう感じるのかを科学の側から。
1本の記事
History
古代の薫香から、アルデハイドの発明、現代のニッチまで。香りがたどってきた道。
1本の記事
Wearing & Care
季節と場面の選び方、レイヤリング、保管。手持ちの一本を長く楽しむために。
2本の記事
Analysis
評価データ、GC-MS、官能評価。数字と手法から香りの傾向を読み取ります。
1本の記事

ジル サンダーが日本で先行発売した6本のうち4本は、名前になっている素材が公表処方に含まれていない。シソにシソは無く、ソルトに塩は無い。香料が3つしか公表されていないからこそ検算できるこの奇妙さから、香水の「ノート」欄が何を書いているのかを読み直す。

源氏香の答案は五十二通りしかなく、そのどこにも香りの名前は書かれていない。香道が問うのは同じか違うかだけである。日本語が香を「聞く」と言うようになった理由を、室町の座敷からたどる。

香水になる花の多くは夜に開き、夜に匂う。その時間割は人のために組まれたものではない。ダーウィンが予言した蛾から、白い花の艶の正体である糞便の分子まで、花の香りが誰に宛てて書かれているかをたどる。

ノート、アコード、ハーモニー。香水を語る言葉の多くは音楽から来ている。19世紀の調香師が匂いを五線譜に並べた試みから、三層のピラミッドが生まれるまで、そして比喩を実験にかけた近年の研究まで。

「1221年創業」と記されるフィレンツェのブランドは、その年に会社が生まれたわけではない。修道士の薬草園、公開された薬局、大公家の調剤所、そして世俗の企業へ。公式に残る年号をたどって、八世紀の連続と断絶を読む。

9月1日・2日に日本で発売された新作を中心に、今週の6本を整理。ミネラル感を軸にした「空気」と「塩」の香り、ヘーゼルナッツやアイリスで温度を与えたウッディ、そして限定のエクストレ。価格帯と香調の傾向から、この秋の潮流を読み解く。

人の鼻で働く嗅覚受容体は約四百種。この数で膨大な匂いを扱えるのは、一つの受容体が一つの匂いに対応していないからである。組み合わせで読むという解法と、それが生む「慣れて感じなくなる」という副作用。

ホテルのロビーで感じるあの匂いは偶然ではない。空調に混ぜて建物全体に香りを配る設計は珍しくなくなった。ただし、この設計には他の内装にはない難題がある。人は目を閉じられるが、呼吸は止められない。

嗅いだ瞬間に「知っている」と分かるのに、名前だけが出てこない。この不便さは嗅覚の欠陥だと長らく考えられてきた。ところが、匂いを色と同じ精度で名指す言語が実在する。問題は鼻ではなく、言葉の側にあったのかもしれない。

ガスクロマトグラフにかければ、香水の成分は一覧になって出てくる。ところがその一覧を読んでも、どう香るかは分からない。ピークの大きさと匂いの強さが、まったく比例しないからである。だから分析の出口には、いまも人の鼻が座っている。

香水の説明に並ぶ「アンバー」「フゼア」「シプレ」。これらは香料の名前ではない。複数の素材が溶け合い、もとの素材が聞き分けられなくなったときにだけ与えられる名である。調香師が素材ではなくアコードで考える理由。

香りは単体では持ち歩けない。何かに溶かすか、燃やすかしなければならない。香水の歴史を「香料そのもの」ではなく「香りを運ぶ乗り物」の側から眺めると、なぜ現代の香水がアルコールの液体なのかが見えてくる。

パルファム、オードパルファム、オードトワレ。並べると強さの順に見えるこの区分には、実は法的な定義がない。しかも持続時間を決めているのは濃度ではなく、中身の分子の重さである。数字の読み方を一度ほどいてみる。

ムスク、アンバー、シベット、カストリウム。香水の言葉として当たり前に使われているこれらは、もとをたどればすべて動物から採られていた。素材のほうは二十世紀のうちにほぼ姿を消し、言葉だけが残って別のものを指している。

何年も置いた香水を開けたら、記憶の中の香りと違っていた。劣化の犯人は光と熱と酸素だが、いちばん見落とされているのは瓶の残量である。減った分だけ、瓶の中には空気が入っている。

手首か、うなじか、足首か。つける場所の話は、実のところ「香りをどこまで届かせたいか」の話である。自分だけが気づく距離と、すれ違った人に届く距離は、体のどこに置くかでほぼ決まってしまう。

香料の世界でいちばん古い方法が、いちばん多く使われ続けている。理由は「よくできているから」ではない。100℃の湯気に乗れる分子だけを選び、乗れない花を切り捨てることで成立した方法だからである。

花を溶剤で洗うと、香りだけでなく蝋も色素も一緒に出てくる。それをいったん固めたものがコンクリート、そこから香りだけを引き上げたものがアブソリュート。「絶対」という名を持つこの香料は、精油より完全なのだろうか。

咲いている花にガラスの器をかぶせ、その中の空気だけを分析する。微生物に香りの分子を作らせる。二十世紀後半からの新しい方法は、どれも「素材を取ってこない」という一点で共通している。抽出はいつのまにか、抽出でなくなりつつある。

素材を湯に沈めて煮る水蒸留は、蒸気を吹き込む方式より原始的に見える。それでもバラだけはこの方法で採られ続けてきた。理由は花びらの詰まり方と、水に溶けて逃げてしまう香りの回収にある。

柑橘だけが、熱も溶剤も使わずに香りを取り出せる。果皮を押し潰すだけでいい。そのかわり、搾ったままの油には日光と反応する成分が残る。香水にいちばんよく使われる素材が、いちばん厳しく量を制限されている理由。

冷たい脂の板に花を並べ、萎びたら取り替える。気の遠くなる手作業は百年前に商業的な役目を終えた。それでもこの方法が確かめてしまった事実 — 摘まれた花はしばらく香りを作り続ける — は、いまも香料産業の前提になっている。

31℃、73気圧。この一点を超えた二酸化炭素は、気体のように広がりながら液体のように物を溶かす。香料のために発明された技術ではなく、コーヒーからカフェインを抜くために工業化された装置が、そのまま花のところへやってきた。