先週のこの欄で、ジル サンダーの「セサミ」には胡麻が入っていない、と書いた。黒胡麻の印象をつくっていたのはカカオの外皮と樽材で、名前の素材は公表された処方のどこにも無かった。ところが1週間後の 9 月 16 日、ドリス ヴァン ノッテンのブティックに並んだ新作のノート欄には、その胡麻が真ん中に載っている。しかも「炒った」胡麻として、焙煎した大麦と並んで。

偶然ではなさそうだ。9 月に日本で発売された、あるいは発売が告知された新作を並べると、ピスタチオ、カカオ、アーモンド、ドラジェと、火を通した種子や穀物が次々に出てくる。食べものの香りを指すグルマンという言葉は、この20年ほどバニラとキャラメル、つまり砂糖の側の言葉だった。それがなぜこの秋、鍋で種を炒る側へ寄っているのか。

スミレの隣に、炒り胡麻を置く

ドリス ヴァン ノッテンの Velvet Violet(ヴェルヴェット バイオレット)は、スミレを花ではなく葉の側から描いたオードパルファンである。立ち上がりはピンクペッパーとバイオレットリーフ、クラリセージの青さ。中心に炒った胡麻と焙煎した大麦が置かれ、土台は焦がしたトンカビーンとベンゾイン、ベチバーで締まる。ブランドはこの構成を「フレッシュな花とローストした種子による、意外性のある組み合わせ」(日本公式サイト)と説明し、自然由来の原料が 88% を占めると公表している。調香はガエル・モンテロ。紫の半透明ガラスの底には胡麻を思わせる斑点が散り、ボトルは詰め替えができる。日本の公式オンラインストアでは 100mL 50,160 円。

面白いのは、胡麻が甘さの役ではなく乾きの役で呼ばれていることだ。スミレの葉は水気のある青い匂いがする。そこへ砂糖を足せば菓子になるが、炒った種を足すと、青さは湿り気を失って布のような手触りに変わる。名前の「ヴェルヴェット」は、この乾いた毛羽立ちを指している。

黒い鉄のフライパンで白胡麻を乾煎りしている。中央の胡麻がきつね色に変わり、細い湯気が立っている
色が変わった中央だけが香ばしい。炒る前の白い胡麻は、ほとんど匂わない

種を炒ると、何が起きているのか

生の胡麻を嗅いでも、あの香りはしない。香ばしさは種の中に最初からあるのではなく、鍋の上で新しく生まれる。糖とアミノ酸が熱で結びついて褐色の物質と香気をつくるこの反応を、フランスの化学者ルイ=カミーユ・マイヤールが報告したのは 1912 年のことで、いまはメイラード反応と呼ばれている。パンの耳、焙煎したコーヒー、焼いた肉の匂いはみなこの反応の産物で、なかでもピラジン類と呼ばれる窒素を含む分子が、ナッツや炒った穀物らしさを担う。

砂糖だけを熱してもキャラメルにはなるが、ピラジンは生まれない。アミノ酸、つまりタンパク質を持つ種子や豆があって初めて、あの「炒った」匂いになる。だから同じグルマンでも、キャラメルやバニラの甘さと、胡麻やカカオの香ばしさは出どころが違う。前者は舌に近く、後者は鼻の奥の、少し苦くて乾いた場所に届く。

糖を焦がす種を炒る日に干すキャラメルバニラギモーヴ胡麻・大麦ピスタチオカカオアーモンド干し草シプリオールベチバー甘い乾いた
今週の新作の公表ノートから。真ん中の列だけが、糖とアミノ酸の両方を必要とする

この目で今月の新作を見直すと、砂糖と種を1本の中でつなぐ作り方が目につく。ロエベが 9 月 10 日に一部店舗で発売した「クラフテッド」コレクション 5 本のうち、Verdant Grove(バーダント グローブ)がそうだ。ピスタチオとベルガモットで始まり、アイリスとオレンジブロッサムの粉っぽい花を経て、キャラメルとバニラ、シダーウッド、ムスクへ落ちていく。陽を浴びた緑から立つ穏やかな甘さ、という主題のとおり、炒ったナッツの乾いた脂が先に来て、焦がした糖はそのあとから追いかける。調香はロエベ専属のヌリア・クルエジェス。吹きガラスの手仕事に着想したフラスコ型のボトルで、100mL 52,910 円。

トム フォード ビューティが 9 月 4 日から順次発売している Tobacco Chocolat(タバコ ショコラ)は、もっと直截だ。プライベート ブレンドの新作で、核になるのはタバコの葉とダークチョコレートを一緒に蒸留したという「ココアスモーク アコード」。カカオ豆は発酵と焙煎を経て初めてチョコレートの匂いになる素材で、タバコの葉もまた乾燥と熟成で香りをつくる。火と時間を通した2つの素材を同じ釜に入れ、オレンジの精油で明るさを、パチュリで土の重さを足している。30mL 29,150 円、50mL 41,250 円で、10mL(16,170 円)は 10 月に加わる。

10 月に控えているのが、クラシック音楽を香りに置き換えてきた日本のブランド、ラニュイ パルファンの「くるみ割り人形」(The Nutcracker)である。創業 5 周年の新作 5 本のうちの1本で、チャイコフスキーのバレエのクリスマスイブを、ドラジェと生のアーモンド、シナモンで始める。ドラジェはアーモンドを砂糖の殻で包んだ菓子だから、ここでも種と糖は一粒の中で組になっている。中心はクリスマスティーとスミレ、土台はサンダルウッドとパピルス、チョコレート、バニラ。調香はパリの調香スタジオ FLAIR のカミーユ・シュマルダン。10 月 7 日から 12 日に伊勢丹新宿店の「サロン ド パルファン」で先行販売し、23 日に全国発売する。30mL 19,800 円。

炒らない乾き — 干し草と綿

ただし、この秋の「乾いた温かさ」をすべて焙煎で説明しようとすると、1本だけ収まらない新作がある。コム デ ギャルソン・パルファムが 9 月 18 日に阪急うめだ本店などで発売した Tears(ティアーズ)だ。トレメイン・エモリー率いるデニム ティアーズとの協業で、主題は雨上がりのアメリカ・ジョージア州の綿花畑。赤土から立つ熱と、濡れて光る綿を香りにしている。

ノートはガルバナムとセージの青く苦い立ち上がりから、ジャスミンとオリスを経て、ベチバー、干し草、シプリオール、ムスクへ沈む。ここには炒ったものが1つも無い。干し草の温かさは火ではなく、刈った草を日に干すあいだに生まれる。クマリンという、トンカビーンにも含まれる分子が、乾く過程で草の中に現れるからだ。鍋の上の数分でできる香ばしさと、畑で何日もかけてできる温かさ。同じ「乾いて温かい」でも、時間の単位がまるで違う。調香はポール・ゲラン。50mL 31,900 円で、10 月 2 日からは取扱店にも並ぶ。

雨に濡れた灰色の板の上に、干し草の束と弾けた綿の実が置かれている。板の隙間に赤土がたまっている
ここには焦げ色が無い。草を温かい匂いに変えるのは火ではなく、日なたの時間だ

1912年の青、1912年の褐色

マイヤールが褐色の反応を報告した 1912 年は、香水の歴史では別の出来事で記憶されている。ジャック・ゲランが、日没後の空が青く沈む時間を描いた「ルール ブルー」を発表した年だ。そのゲランがこの 8 月 28 日、同じ名前と同じ主題で、まったく新しい L'Heure Bleue(ルール ブルー)のオーデパルファンを出した。旧作の処方替えではなく、現代の香料で描き直した別の1本で、調香はハウスパフューマーのデルフィーヌ・ジェルク。

構成は、夕暮れの澄んだ空気を表すオゾニック アコードに始まり、ギモーヴ(マシュマロ)のアコードとオレンジブロッサム、ゲランが独自に仕立てたアイリスのチンキを経て、バニラとアンブロクサンで終わる。甘い。けれどもこの甘さは、どこにも焦げ目が無い。ギモーヴは糖を泡立ててつくる菓子で、焼かずに固める。炒った種がそろって並んだこの秋に、110 年前の名を継ぐ1本が選んだのは、火を通さない白い甘さだった。30mL 12,320 円、50mL 17,600 円。

製品温かさの出どころ日本発売価格
ドリス ヴァン ノッテン Velvet Violet炒る(胡麻・大麦)9月16日100mL 50,160円
ロエベ Verdant Grove炒る+焦がす(ピスタチオ・キャラメル)9月10日100mL 52,910円
トム フォード Tobacco Chocolat炒る(カカオ・タバコ)9月4日〜30mL 29,150円
ラニュイ パルファン くるみ割り人形炒る+糖衣(アーモンド・ドラジェ)10月23日(先行 10月7日)30mL 19,800円
コム デ ギャルソン Tears干す(干し草)9月18日50mL 31,900円
ゲラン L'Heure Bleue(2026)火を通さない(ギモーヴ)8月28日30mL 12,320円
今回取り上げた 6 本。温かさの出どころは公表ノートからの分類。価格は税込、発売日は日本国内

香水売り場で「グルマン」と書かれた棚の前に立ったら、ノート欄の食べものに、どう火が通っているかを見てほしい。焦がした糖か、炒った種か、干した草か、それとも火を通していないのか。同じ「甘くて温かい」という説明の下に、鍋の数分と、畑の数日と、泡立て器の数十秒が隠れている。この秋の新作が教えてくれるのは、甘さにも焼き加減がある、ということだ。

参照

ブランド公式: Dries Van Noten — Velvet Violet(日本)
プレスリリース: La Nuit parfum 5 周年の新作 5 種(PR TIMES)
日本の発売日・国内価格・容量: ファッションプレス(ドリス ヴァン ノッテン) / 同(ロエベ クラフテッド) / 同(トム フォード) / 同(コム デ ギャルソン・パルファム) / 同(ゲラン)
調香師・ノート構成の補足: Fragrantica — Velvet Violet / 同 — Verdant Grove / 同 — Tobacco Chocolat

関連用語メイラード反応香気成分合成香料ノート