源氏香の答えは五十二通りしかない。香木の種類も、その組み合わせも実際にはもっと多いのに、参加者が書ける答案は五十二種類に決まっている。

答案が有限なのは、問われていることが「この香りは何か」ではないからだ。香道の席で問われるのは、香りの名前ではなく同じか違うかだけである。日本語が香を「嗅ぐ」ではなく「聞く」と言うようになった理由は、この一点に集まっている。

五十二通りしかない答え

源氏香の手順はこうだ。五種類の香木を五包ずつ用意する。全部で二十五包になる。そこから任意に五包を取り出し、順に一つずつ焚く。参加者は五回聞いたあと、一番目から五番目までのうち、どれとどれが同じ香りだったかを判定する。

席には役割がある。香を焚いて回す香元、答案を集めて記録する執筆(しっぴつ)。参加者は自分の答えを紙に書き、名乗りを添えて出す。当たり外れはその場で読み上げられ、記録として残る。源氏香はそうした組香のひとつにすぎず、和歌や季節、物語を題にした組香が数えきれないほど作られてきた。

五つのものを「同じ・違う」でグループ分けする方法は、数え上げると五十二通りになる。源氏物語は五十四帖あるので、桐壺と夢浮橋の二帖を除いた五十二帖の名を、この五十二通りにそれぞれ割り当てることができる。答案に巻の名を書くこともあるが、本体は図のほうである。

図の書き方は単純だ。五本の縦線を引き、同じ香りだったと判定した線の上端を横線でつなぐ。線は右から順に一番目、二番目と読む。これが源氏香の図と呼ばれるもので、着物や器の意匠として香道の外にも広く出ていった。

答案の書き方右が一番目五つとも違う一と二が同じ五つとも同じ同異の型は 52 通り。それぞれに巻の名がある
答案に書くのは香りの名前ではなく、同じだったか違ったかという関係だけ。線は右から一番目と読む

注意したいのは、この答案のどこにも香りの名前が書かれていないことだ。伽羅か羅国かを言い当てる必要はない。一番目と四番目が同じ木だった、とだけ言えればよい。

東山の座敷で分かれた道

香木を焚いて楽しむ行為そのものは古い。だがそれが作法と流派をもつ「道」になったのは、室町の中ごろ、足利義政の東山文化のなかでのことだった。

このとき二つの系統ができる。公家の三条西実隆に発する御家流と、武家の志野宗信に発する志野流である。御家流は和歌や物語を組香の主題に取り、志野流は香木の判別と作法の厳密さを重んじた。方向は違うが、香りを当てる遊びを記録の残る形式に変えたという点では同じだった。図で答えを書かせる仕組みは、この形式化の産物である。

同じころ、同じ場所で茶の湯と立花も形を整えている。将軍家に仕えた同朋衆が唐物の道具を管理し、鑑賞の作法を組み立てていった時代だ。香もその流れのなかで、聞き方と記録の仕方を持つようになった。香道が茶道とよく似た構えを持つのは、成り立ちが同じ座敷だったからである。

香りの言葉が無いから、味の言葉を借りた

そもそも沈香は、木そのものの香りではない。ジンチョウゲ科の木が傷を負ったり菌の侵入を受けたりすると、その部分に樹脂が沈着する。香るのは、その樹脂を含んだ部分だけだ。樹脂が詰まって水に沈むほど重くなるので沈香と呼ばれた。木そのものが香る白檀とは、成り立ちからして違う。香道がもっとも貴んだ香りは、木が傷を負ったあとにできたものだった

香道は香木を六つに分ける。伽羅、羅国、真那賀、真南蛮、寸聞多羅、佐曽羅。六国と呼ばれるこの区分は産地の名に由来するとされるが、実際には木の質と香りの品位による分類として使われてきた。

黒く艶のある沈香の小片が三片、白い和紙の上に置かれている
右の一片に走る黒い筋が、木が傷を負ったあとに沈着した樹脂。香るのはこの部分だけ

もう一つの軸が五味である。甘、酸、辛、苦、鹹(かん)。香りを味覚の言葉で表す。甘い香り、辛い香り、苦い香りという言い方で、木の性格を書き分けていく。

香りには香りだけの語彙がない、という問題は洋の東西を問わない。西洋の調香がその穴を音楽の言葉——ノート、アコード、ハーモニー——で埋めたのに対し、日本の香道は味覚の言葉で埋めた。借りてきた先が違うだけで、やっていることは同じである。ただ、味覚から借りたぶん香道の言葉のほうが身体に近いところに落ちた。甘い、重い、苦いは、いまも香水を語るときに真っ先に出てくる。

蘭奢待という名前の隠し方

正倉院に、黄熟香(おうじゅくこう)という長さ一メートルを超える沈香の塊がある。雅名を蘭奢待という。蘭・奢・待の三字には、それぞれ東・大・寺の字が隠されている。名前そのものが、東大寺の宝であることを示す暗号になっている。

重さは十キロを超える。香木としては規格外の大きさで、いつどこから渡来したのかは分かっていない。この香木には切り取られた跡がいくつも残り、切った人物を記した付箋が添えられている。足利義政、織田信長、明治天皇。信長が截香したのは天正二年、一五七四年のことだ。香りそのものを書き留めた記録よりも、誰がいつ切ったかの記録のほうが多く残っている。権力者にとって蘭奢待は、聞くものである以前に手に入れたことを示すものだった。

照合という聞き方

「聞く」という語は、しばしば香道の詩的な言い回しとして紹介される。だが組香の手続きを追っていくと、これは風流な言い換えではなく、実際にやっていることの正確な記述だと分かる。

参加者に求められているのは、香りを絶対的に同定することではない。直前に聞いた香りを記憶に留め、次に来た香りと突き合わせ、同じか違うかを判定することだ。一回きりの動作ではなく、時間をかけて相手の言い分を照らし合わせる作業である。嗅ぐより聞くのほうが、動詞として正しい。

組香が同異だけを問うのには、実務上の理由もある。同じ香木でも、その日の湿度や灰の温度、聞く順番によって印象は動く。絶対値のほうが揺れるのなら、差だけを問えばよい。五百年前の作法は、嗅覚という測りにくい感覚から、安定して取り出せる情報だけを慎重に選び取っている

嗅覚の研究でも、匂いに正しい名前をつけるのは難しい一方で、二つの匂いが同じか違うかの判別はずっと容易であることが繰り返し報告されてきた。香道は、その難しいほうを最初から問わないように設計されている。香水売り場で銘柄の記憶が出てこず、「甘い」「重い」としか言えなくなるとき、私たちは語彙が足りないのではない。五百年前に作法として定式化された、正しい聞き方をしているだけだ。

関連用語香道聞香組香源氏香香木六国五味