
ベチバーは世界中でほぼ一株である — ハイチ・ジャワ・ブルボンを分けたのは根ではなく火
香料店の棚には「ハイチ」「ジャワ」「ブルボン」と産地の名を冠したベチバーが並ぶ。ところが1998年のDNA調査は、世界の栽培株の大半が同じ一つのクローンだと明かした。遺伝子が同じなら、三つの香りを分けたものは何か。土と乾燥と、蒸留所の火加減をたどる。
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香料店の棚には「ハイチ」「ジャワ」「ブルボン」と産地の名を冠したベチバーが並ぶ。ところが1998年のDNA調査は、世界の栽培株の大半が同じ一つのクローンだと明かした。遺伝子が同じなら、三つの香りを分けたものは何か。土と乾燥と、蒸留所の火加減をたどる。

レイヤリングを試して、期待した「両方の良さ」ではなく、どちらでもない何かになった経験はないだろうか。人は混ざった匂いの中から3つか4つしか聞き分けられず、30種を超えると全部が同じ匂いになる。その限界を知ると、香りを重ねるという行為の意味が変わる。

ジル サンダーが日本で先行発売した6本のうち4本は、名前になっている素材が公表処方に含まれていない。シソにシソは無く、ソルトに塩は無い。香料が3つしか公表されていないからこそ検算できるこの奇妙さから、香水の「ノート」欄が何を書いているのかを読み直す。

源氏香の答案は五十二通りしかなく、そのどこにも香りの名前は書かれていない。香道が問うのは同じか違うかだけである。日本語が香を「聞く」と言うようになった理由を、室町の座敷からたどる。

香水になる花の多くは夜に開き、夜に匂う。その時間割は人のために組まれたものではない。ダーウィンが予言した蛾から、白い花の艶の正体である糞便の分子まで、花の香りが誰に宛てて書かれているかをたどる。

ノート、アコード、ハーモニー。香水を語る言葉の多くは音楽から来ている。19世紀の調香師が匂いを五線譜に並べた試みから、三層のピラミッドが生まれるまで、そして比喩を実験にかけた近年の研究まで。

「1221年創業」と記されるフィレンツェのブランドは、その年に会社が生まれたわけではない。修道士の薬草園、公開された薬局、大公家の調剤所、そして世俗の企業へ。公式に残る年号をたどって、八世紀の連続と断絶を読む。

9月1日・2日に日本で発売された新作を中心に、今週の6本を整理。ミネラル感を軸にした「空気」と「塩」の香り、ヘーゼルナッツやアイリスで温度を与えたウッディ、そして限定のエクストレ。価格帯と香調の傾向から、この秋の潮流を読み解く。

人の鼻で働く嗅覚受容体は約四百種。この数で膨大な匂いを扱えるのは、一つの受容体が一つの匂いに対応していないからである。組み合わせで読むという解法と、それが生む「慣れて感じなくなる」という副作用。

ホテルのロビーで感じるあの匂いは偶然ではない。空調に混ぜて建物全体に香りを配る設計は珍しくなくなった。ただし、この設計には他の内装にはない難題がある。人は目を閉じられるが、呼吸は止められない。

嗅いだ瞬間に「知っている」と分かるのに、名前だけが出てこない。この不便さは嗅覚の欠陥だと長らく考えられてきた。ところが、匂いを色と同じ精度で名指す言語が実在する。問題は鼻ではなく、言葉の側にあったのかもしれない。

ガスクロマトグラフにかければ、香水の成分は一覧になって出てくる。ところがその一覧を読んでも、どう香るかは分からない。ピークの大きさと匂いの強さが、まったく比例しないからである。だから分析の出口には、いまも人の鼻が座っている。

香水の説明に並ぶ「アンバー」「フゼア」「シプレ」。これらは香料の名前ではない。複数の素材が溶け合い、もとの素材が聞き分けられなくなったときにだけ与えられる名である。調香師が素材ではなくアコードで考える理由。

香りは単体では持ち歩けない。何かに溶かすか、燃やすかしなければならない。香水の歴史を「香料そのもの」ではなく「香りを運ぶ乗り物」の側から眺めると、なぜ現代の香水がアルコールの液体なのかが見えてくる。

パルファム、オードパルファム、オードトワレ。並べると強さの順に見えるこの区分には、実は法的な定義がない。しかも持続時間を決めているのは濃度ではなく、中身の分子の重さである。数字の読み方を一度ほどいてみる。

ムスク、アンバー、シベット、カストリウム。香水の言葉として当たり前に使われているこれらは、もとをたどればすべて動物から採られていた。素材のほうは二十世紀のうちにほぼ姿を消し、言葉だけが残って別のものを指している。

何年も置いた香水を開けたら、記憶の中の香りと違っていた。劣化の犯人は光と熱と酸素だが、いちばん見落とされているのは瓶の残量である。減った分だけ、瓶の中には空気が入っている。

手首か、うなじか、足首か。つける場所の話は、実のところ「香りをどこまで届かせたいか」の話である。自分だけが気づく距離と、すれ違った人に届く距離は、体のどこに置くかでほぼ決まってしまう。

香料の世界でいちばん古い方法が、いちばん多く使われ続けている。理由は「よくできているから」ではない。100℃の湯気に乗れる分子だけを選び、乗れない花を切り捨てることで成立した方法だからである。

花を溶剤で洗うと、香りだけでなく蝋も色素も一緒に出てくる。それをいったん固めたものがコンクリート、そこから香りだけを引き上げたものがアブソリュート。「絶対」という名を持つこの香料は、精油より完全なのだろうか。

咲いている花にガラスの器をかぶせ、その中の空気だけを分析する。微生物に香りの分子を作らせる。二十世紀後半からの新しい方法は、どれも「素材を取ってこない」という一点で共通している。抽出はいつのまにか、抽出でなくなりつつある。

素材を湯に沈めて煮る水蒸留は、蒸気を吹き込む方式より原始的に見える。それでもバラだけはこの方法で採られ続けてきた。理由は花びらの詰まり方と、水に溶けて逃げてしまう香りの回収にある。

柑橘だけが、熱も溶剤も使わずに香りを取り出せる。果皮を押し潰すだけでいい。そのかわり、搾ったままの油には日光と反応する成分が残る。香水にいちばんよく使われる素材が、いちばん厳しく量を制限されている理由。

冷たい脂の板に花を並べ、萎びたら取り替える。気の遠くなる手作業は百年前に商業的な役目を終えた。それでもこの方法が確かめてしまった事実 — 摘まれた花はしばらく香りを作り続ける — は、いまも香料産業の前提になっている。